** 「担当」というもの。

12年前、あのときも申年で、初めて「年女」であることをきちんと認識できて、やたら浮かれていたあの頃、わたしは相葉くんにはまった。
なんの前触れもなく、ある日突然、とぷん、っと。落っこちるみたいに。

気付けば干支がくるりと一周していて、わたしはまた、年女になった。
12年という時間が流れているのに、わたしはあのときと同じように同じ人を見て、きゃっきゃしている。(一度落ちると抜け出せない性格らしい。)

それだけの期間、いわゆる「おたく」をしていると、「担降り」という言葉をたくさん耳にする。

「担当」が変わること。
まだ、わたしは経験できていない。

どういう感覚なのか、どんなことを思うのか、いろんな人を見ていて、そのたびに考えてみても、上手く想像ができない。

たぶん、ものすごく考えるのだと思う。
複雑な感情の中で、ゆらゆらするのだと思う。

凄く凄く大好きで、会えるチャンスがあるなら、そこに真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに全力で飛び込んで、時には無理をしてでも会いに行く。

だからこそ、会えたときは、とっても嬉しいし、また会いたいって思うし、そうやって「大好きな人」を追いかけているわけで。

でも真っ直ぐに突き進んでいても、その人だけにスポットライトが当たっているわけではないから、いろんな条件(友だちの影響とか、自分自身の心情の変化とか、好きな人の変化とか...)で、別の人がきらりと光る瞬間があるのかな。

その瞬間に「大好きな人」とは違う「気になる人」がひょっこり顔を出すのかもしれない。

ひょっこりさんにスポットライトが当たることが増えて「大好きな人」に限りなく近い「大好きな人」になる日もあって、「どっちが好きなんだろう」って、きっと格闘するんだ。

いっぱい、自分自身の中で。

ずっと「大好きな人」をあんなに必死で追いかけてきたのに、気持ちって動くのかな、なんて、ぐらんぐらんに揺れるんだと思う。

でもそのぐらんぐらんの気持ちを、自分の中だけで処理できなくなる日が来て、友だちにぽろっと漏らしてみたりして。

個人的に、その時には「ひょっこりさん」は、もうとっても大きな存在になっているような気がしてる。

そんな風にぐらんぐらんになっているのが苦しくて、いっぱい悩んで、気持ちを行ったり来たりさせて、ある日「いちばんは○○くんだったけど、○○くんにする!」と言葉にする。

その直後の新しいいちばん(担当さん)への、愛情のだだ漏れ方が個人的には、凄く好き。(周りを見た感想ね)

物凄い悩んだ挙句に「いちばん」が明確になって、気持ちが軽くなるのかな。この人のことをなんの罪悪感もなく、大好きだと言える喜びみたいなものが爆発して「あ、この子そんなに好きだったんだ」なんてことがよくある。(笑)

その爆発にさせ方が可愛くて、大好き ♡

わたしは、そういう感覚にまだなったことがなくて、ひとりの人にスポットライトが当たり続けているから、全部は理解してあげられない。


でも、誰が「いちばん」でもいいのにな、って思う。

「好き」に永遠はないと思ってるから、その瞬間大好きなものを大切にしてあげればいいと思うし、それがあっちこっちになってるとしても、それはそれで幸せなことだと思うし、別に結婚するわけじゃないんだから、誰かひとりに決める必要もないんだよね。

みんなみんなが誇らしく自分の「好き」を大事に大事にできればいい。

だって、大好きで心配したり、喜んだりする時間って、凄く楽しいから。

こんなこと言ってて、自分がそういう状況に陥ったら、死ぬほど悩むんだろうなー 。(笑)

そんなわたしの独り言。